《特別編》三社祭2005たろりんの生まれ故郷、浅草。 2005年5月22日、里帰り中に訪れた、 三社祭のようすをレポートします! えー、ここで簡単に、江戸三大祭のひとつ三社祭についてご説明しましょう。私の知っている限りの情報ですので不足・間違い部分についてはご勘弁を(^_^ゞ。 三社祭は、浅草神社という神社のお祭です。ときはさかのぼること西暦628年、推古天皇の時代。漁師の檜前浜成・竹成兄弟が現在の隅田川で漁をしていたところ、網に一寸八分の黄金色の観音像がかかりました。土地の文化人、土師中知がその観音像を奉納したのが、現在の浅草寺のはじまりと言われています。のちに、この檜前浜成・竹成兄弟と土師中知の三人は聖人として崇められ、浅草寺の境内の浅草神社に奉られました。この三聖人をたたえるお祭が、"三社祭"というワケです。 三社祭は、毎年5月の第三週末に行われます。土曜日には、浅草寺の周辺地域の町会ごとに、その数なんと100基以上の神輿が浅草界隈を練り歩きます。日曜日には、浅草神社の3基の大きな宮神輿(一之宮・二之宮・三之宮)が出ます。この3つの神輿は、それぞれ周辺の町会の担ぎ手たちが、地域ごとに分担、交代で担ぎ回ります。その町会の半纏を着ていないと、この神輿を担ぐ事はできません。朝6時に浅草神社を出発する"宮出し"と、一日中周辺を回ってきた神輿が夕方、神社に戻ってくる"宮入り"は三社祭の大きなみどころと言えます。 5月22日の夕方、雨が降る中、浅草寺の境内は大勢の見物客でギュウギュウ詰めでした。これは、浅草寺の本殿から見上げた五重塔。 私のイチオシ宮入り見物スポットは、やはり雷門前。3つの神輿のうち、一之宮は雷門前で最後の町会の担ぎ手に引き渡され、仲見世を通って浅草神社へと向かいます。神輿の一行を先導するのは、天狗。 遠くから一之宮が少しずつ近付いてきました。むこうに見えるのは、隅田川を挟んで対岸に建つアサヒビール本社ビル。 一之宮が雷門前にたどり着くと、宮入り担当の担ぎ手へと神輿が引き渡されます。神輿は一度下ろされ、町会役員の挨拶が終わると、とび職の統領の木やり唄に続いて三本〆。勢いよく神輿が上げられて、一気に仲見世通りへと入っていきます。 脇道から先回りして仲見世通りの中ほどで神輿を待ち伏せしました。狭い仲見世商店街を大きな一之宮が通過する瞬間の大迫力! 神輿のすぐ後ろにはお囃子の車が。 この後、神輿は浅草寺の本殿の前を通って、境内にある浅草神社へと帰って行き、蔵に収められます。今年は蔵へ収められるところまでは見届けることはできませんでした。 ところで、たろりんの実家はこの浅草寺から歩いて15分くらいのところにあります。実家のある町会は浅草神社の氏子ではないので、三社の神輿は担ぎません。我が町会は、おとなりの地区にある小野照崎神社という神社のお祭に参加しています。この神社のお祭も、毎年三社祭と同じ時期に開催され、規模は三社より小さいながらも、毎年の町会ごとの神輿と、3年に一度神社の大きな宮神輿が出ます。たろりんは結婚前は毎年かならず、このお神輿を担いでいました。今年は三社より一週間早かったので帰国に間に合わず、担げなかったのが残念…。子供の頃からずっと親しんできたお祭で、古くから顔なじみの近所の人達と汗を流して担ぐお神輿は、何ともいえず楽しいイベントなのでした。来年はこの時期に帰って来られるかどうか分からないけれど、またいつか絶対にお神輿を担ぎたいなぁ、、、。 ジャンル別一覧
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